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十二所神社

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鎌倉初期、三浦義明の子、佐原十郎義連(さわらじゅうろうよしつら)が、氏神の三浦十二天神を葦名城の鎮守として勧請したと伝え、七天神、五地神の十二神を祀っています。鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』には、寿永元年(1182年)八月、佐原十郎義連が、源頼朝の妻室北条政子の安産祈願のため参詣を命ぜられたことが書かれています。
芦名城址は、現在の大楠小学校正門前の「城山」といわれる南北に長い岩山であったと伝わっています。三浦大介義明の弟・葦名為清(あしなためきよ)が築いたとされ、大楠小学校のあたりは、「御舘」と呼ぶことから館跡であったと考えられています。
文治5年(1189年)奥州合戦において活躍した佐原十郎義連は陸奥国会津に所領を与えられ、会津に分かれた庶流は、蘆名氏を称して会津若松市に黒川城を築き、戦国大名となって伊達政宗らと東北の覇権を争いました。