浄楽寺
この寺の正式名称は「金剛山勝長寿院大御堂浄楽寺(こんごうさんしょうちょうじゅいんおおみどうじょうらくじ)」と言い、鎌倉光明寺の末寺にあたります。文治五年(1189年)、三浦一族の武将で、鎌倉幕府侍所の初代長官である和田義盛が建立した七阿弥陀堂の1つであると言われています。のちに、鎌倉光明寺の僧寂恵(じゃっけい、1305年没)が中興し、今に至ります。
国指定重要文化財に指定されているご本尊の阿弥陀三尊像、不動明王立像、毘沙門天立像の5体は、「日本のミケランジェロ」と評される鎌倉時代の仏師運慶作の仏像です。運慶作の仏像は、本堂裏手の収蔵庫に安置され、3月3日と10月19日の年2回、一般公開されています。(公開日以外は、10名以上であれば事前に浄楽寺に予約を入れて拝観可能です。)源頼朝の後室=北条政子が承久2年(1220年)奉納したと伝わる懸仏も御覧になれます。
①阿弥陀如来坐像(写真中段中央・下段中央、国指定重要文化財)
張りのある頬、厚い胸と、重量感がみなぎります。衣文の彫りは深く、運慶仏の特色がうかがえます。印相は左右とも親指と人差し指を捻って来迎印を結んでいます。木造(主にヒノキ)、寄木造。
②観音菩薩立像(写真中段中央左、国指定重要文化財)
髻(もとどり)を高く結いあげ、やや腰を捻って立つ姿に動きをみせます。木造、寄木造。
③勢至菩薩(せいしぼさつ)立像(写真中段中央右、国指定重要文化財)
観音菩薩とほぼ同形です。観音菩薩とともに極楽浄土の菩薩。木造、寄木造。
④毘沙門天立像(写真中段左・下段左、国指定重要文化財)
毘沙門天は北方の守護神。福徳の神ともされています。邪鬼を踏んだポーズは躍動感があり、引き締まった顔面はたくましく、鎌倉武士を想わせます。目に水晶がはめられています。体内には運慶作を裏付ける銘札が入っていました。
⑤不動明王立像(写真中段右・下段右、国指定重要文化財)
仏道を守る明王は力強さがみなぎり、憤怒の形相で、水晶の目が凄味を増しています。体内には毘沙門天と同種の銘札が入っていました。
長い間、淨楽寺の仏像は、源頼朝発願の勝長寿院阿弥陀如来像をつくったとされる成朝という仏師によるものとされていました。昭和34年(1959年)、レントゲン撮影により毘沙門天の体内から月輪形の銘札が発見(のちに不動明王の体内からも発見)され、文治5年(1189年)三月、和田義盛・小野氏夫妻が発願し、運慶が、弟子十人を率いて製作したことが明らかになりました。これらの書体が、阿弥陀三尊像の体内に墨書された宝篋印陀羅尼と同一であることから、5体全てが運慶作と断定されました。造立から4ヶ月後の奥州征伐の成功を願って造立したものと推測されています。