浄楽寺【郵便の父・前島密の墓碑】
浄楽寺には、戒名や墓碑銘もない墓らしからぬ富士山の形をした前島密の墓があります。前島密は、晩年、浄楽寺境内に山荘を築き、「如々山荘」(如々とは、ありのままの姿の意)と名付けたこの山荘で静かに自叙伝を執筆しました。墓のある場所は、山荘の前島夫妻の富士山を眺めるスポットであったそうです。
前島密は、天保六年(1853年)、越後国中頚城(なかくびき)郡津有(つあり)村下池部(現在の新潟県上越市下池部)の上層農家に生まれました。”郵便の父”と称され、明治期に郵便事業を創業したばかりでなく、鉄道の敷設、新聞の発刊、陸運会社の設立、東京専門学校(現、早稲田大学)の創立などに関わり、明治政府の殖産興業や文明開化の施策を推進させ、新しい国づくりに尽しました。
横須賀製鉄所の創設者と知られ、幕末にすでに郵便制度を提唱していたとされる小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけただまさ)の遺児国子は、成人して婿を迎えますが、その際、密は仲人をつとめています。前島密は、生前の小栗上野介忠順と繋がりをもっていたのでしょう。